「残業代ゼロ法案」から「産む機械」論まで
2007年02月21日
弁護士 上野 精
「残業代ゼロ法案」から「産む機械」論まで
このところ、某大臣の失言と謝罪がマスコミを賑わし、いささか食傷気味の感すらある。表題としたところはもはや旧聞に属する類のものであるが、そこに見え隠れするものは決して看過すべきものでないように思われる。
なぜなら、大臣の所管するのが「厚生労働省」であること、長時間労働、サービス残業、果ては過労死問題までが社会事象として論議を呼び、少子高齢化現象もまた、目下解決の糸口を探るべく、識者のみならず広く社会一般の人々の関心事であることによる。
もっとも「残業代ゼロ法案」(ホワイトカラー・エクゼンプション:アメリカで採用されている。管理職に近い給与を得ているホワイトカラー職に就いている人たちの労働時間と休業時間設定は、本人の意向で自由にすることができ、所謂8時間労働制の制約に服さない。)は、働き方の多様化に対応するものとして、鳴り物入りで宣伝されたが、企業における労働現場の実態を知らないものとして、肝心の労働者側の賛同を得られず、世論の反発もあってか法案提出に至らなかった。
もともと、この要望は経団連から発し、当初の給与額は年収400万円程度を目途にしていたと報じられている。これに先立ち経団連からの政治献金が再開されたことと合わせ考えると「国際競争力云々」を旗印にしているが、衣の下の鎧(よろい)を垣間見る思いを禁じ得ない。
「産む機械」論は、現に野党により「不信任決議案」の提出が予定されている。女性蔑視の最たるものとの感情的反発はもとより、女性のみならず男女を問わず世の識者の反発を買ったのもむべなるかなである。
もっとも、冷静に彼のいうところを聞けば、それなりに理解し得ない議論ではない。しかし、その表現の品のなさ、しかもその職が厚生労働大臣であることを考えると、反発を受けて当然ともいえ、またそれぐらいのことが読めないようでは、政治家としてのセンスを疑われても仕方がないところである。
この程度の見識と品性の人物を、「厚生労働」を所管する省庁のトップに据えざるを得ないところにも今日の政治の貧困をみることができる。