「傍論」雑感
2008年05月12日
弁護士 上野 精
「傍論」雑感
先日名古屋高裁で、「自衛隊のイラク派遣は憲法違反である」として、差し止め等を求めていた事件(一審名古屋地裁・請求棄却)の判決があった。マスコミによれば、判決の結論は控訴棄却であったが、理由中の判断で、控訴人等の自衛隊のイラク派遣は憲法(九条)違反との主張自体は認められたとのことである。
例によって、判決とりわけ控訴棄却の結論でありながら理由中で憲法違反の主張を認めた点を巡って、マスコミやそこでの有識者とされる人達による侃々諤々(かんかんがくがく)の議論があった。
判決の結論や理由構成の当否は別として、その議論の中でこれはどうかなと思ったのは、「憲法違反の点は、傍論であり被控訴人(国)側としては上告して争うこともできない上、そもそも傍論で憲法違反の点を認定する必要があったのか」とする類の批判である。
傍論としての判示が、大きな意味を発揮した例としては、再審の窓口を広げたものとして高く評価されている最高裁の白鳥事件の例がある。傍論であれ、何であれ、当事者が裁判所の判断を望み、当該裁判所がその必要性を認めて当事者に主張立証を尽くさせたのであれば、裁判所の判断として審理の結果から導かれる結論を判決に示すことはむしろ当然のことではないのかとの思いを禁じ得ないが如何なものであろうか。